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イントロダクション

「蒲谷さんとジロー」との出会い

 1996年12月23日、蒲谷さんとジローと私の運命の出会いがありました。
それは、京都嵐山・・・。1996年に初めて、コネクションで、映画「地球交響曲弟一番」の自主上映を開催し、以来様々なご縁から、その年は6つの企画を主催しました。

 ひとつひとつがはじめての経験で、チケットやチラシの作り方もわからず、人から人へのつながりで、自分の足で歩いてチラシを配り、なんとかたくさんのお客様に来ていただき大変よろこんでいただきました。 そして仲間とともに作り上げたその時間を記録にとめておこうと、いくつかの企画を録画しておきました。
 12月になって、一年分の録画の編集をしたいと思い、何を思ったのか、(今考えると、コネクションのプロモーションビデオというものになったのですが)、京都の景色を編集に使いたいと、カメラマンお二人に同行していただいて、京都へ撮影にでかけたのです。 そして、嵐山で、風景を撮影していたところ・・おじさんとワンちゃんが目にとまりました。

 そのときまたまたひらめきで、リポーターになりきってマイクを持ち、蒲谷さんにインタビューをしてしまったのです。その時の映像がこちらです。 おじさんは、神奈川県在住の蒲谷哲(かばやさとし)さんという方でした。聞けば、子どもの頃おうちがまずしくて遠足にも行けなかった。そんな思いから、日本一周をおもいつき(詳しいいきさつは、次のページで)阪神大震災の募金活動をかねて、原付バイクで愛犬の柴犬ジローと日本一周していたのだそうです。
 日本一周の際は、神奈川から、まず神戸に向かい、神戸からスタートして、最後に募金を神戸市役所に届けて旅が終了するのだそうです。 この出会いをご縁に、行きも帰りも、静岡を通過するわけですから、ぜひ静岡で一休みしていってくださいと始まったのが、ご縁でした。静岡でも静岡駅前や呉服町などで、募金活動をし、地元のテレビ番組でもとりあげていただきました。

 そして、1999年4月、5度目の日本一周に出発するため、神奈川を出発し、静岡に寄って、京都に向かいましたが、その時、嵐山で蒲谷さんは脳内出血で倒れて、緊急手術となったのです。

 蒲谷さんをさがす為、テントを飛び出したジローは、交通事故にあい、下半身不随の重症をおってしまいます。その後、奇跡的な出来事を経て、翌年、ジローをサイドカーに乗せ、蒲谷さんは片手で原付を運転し、再び募金を届ける為に、神戸へ向かう途中、静岡に寄ってくれました。私の家から出発するとき、身体の左側に障害が残ってしまい、片手運転なのでカーブが大変と言う蒲谷さんのために、仲間に相談して、フック船長のような鍵の手を作り、ハンドルを固定できるようにして出発したのです。

 被災地の方たちの心情を想い、自分にできることをこんなふうに続けていく蒲谷さんとジロー。その後私は、震災は明日はわが身の静岡で、これまで被災された地域の教訓を得て、心と行動の備えができればと、東海地震セミナーを開きました。

 2004年にジローは老衰で亡くなりました。ジローが亡くなった後、ご自宅へお伺いしてから、時が過ぎ、2011年に蒲谷さんと久しぶりに再会する事ができました。
 蒲谷さんは、車椅子生活で、以前より体を動かすのが大変になっていました。脳内出血で体の左半分が不自由になり、かつ糖尿病でインシュリンを打つ状態で、以前は車椅子での散歩もしていたようですが、今はほとんど外に出られないません。

 私はずっと想っていました。当時はメディアや雑誌でもたくさん取り上げられ、映画化のお話までもすすんでいました。しかし、資金の関係で実現しなかったようです。こうして、人々の心に大きな影響力をあたえた人達が、忘れられていかないように、いつか私が伝えてとなって、子どもたちの心に、大人たちの心に残るよう彼らの存在を話していきたいと、ずっと想っていたのです。
 そして、今回の東北大震災・・。きっと蒲谷さんとジローは元気でいたら、人の心を動かすような影響力をもっていたと思います。地震をとめることはできないけれど、気持ちの備えを伝えて行きたい。そして、蒲谷さんとジローとの出会いを通して、人と人の絆の大切さを伝えていければと、今回初めて蒲谷さんとジローの物語の語りべとなって、二人(一人と一匹ですが)の変わりに全国をまわりたいと思っています。

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